明治と修験道

Title: Meiji and Shugendo: 

(Shugendo: Japanese mountain asceticism-shamanism incorporating Shinto and Buddhist concepts; A person who practices shugendo is called a shugensha or yamabushi.)

 

オリジナルのブログ記事はこちら。

明治と修験道 (全5話)

 

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奥日光名瀑三滝(華厳滝・竜頭滝・湯滝)の一つ、湯滝。 湯滝は、高さ70メートル、長さ110メートルの滝で、 湯滝には、日光湯元の温泉水が湯の湖(ゆのこ)と呼ばれる湖から流れ込んでいるそうです。
温泉水には硫黄分が含まれているため、水が少し白濁しているように見えるのが特徴です。

華厳の滝も圧巻でしたが、湯滝も並ぶ勢いです。

滝の瀑音が響き渡る中、じっと滝壺の左端に水が溜まった部分を見つめるクライアントの女性。周りに観光客がいても、見向きもせずに、一人でじっと滝と向き合っています。

「自分の人生の使命がわからない。人と対立することを恐れて、自分の意見を言うことができない。そのために、自分の生き方ができていないと感じる。そのような自分を変えて、人類のために役立ちたい。」

という内容のご相談でした。すると、彼女のスピリチュアル・ガイドは、Spiritual Guidance-Based Coaching sessionで、午前中に湯滝に行くことを勧めたのです。

午前中の滝は、普段だったらマイナスイオンを感じて爽快感があるはずなのに、この日は滝壺のエネルギーを低く感じ、おどろおどろしい寒気を感じていました。前世の影響でした。

この女性は、滝を眺めながら、明治維新の前後に、奥日光で修験道の修行をしていた修験者の前世を思い出していきました。

奥日光は1000年近く、修験道の修行場所、つまり神聖な場所としてされてきました。一般の人も入れず、女人禁制でした。それが変わったのが明治維新。修験者の言葉を聞かずに、神聖な場所が荒らされ始めたのです。

明治 5年(1872年)には、この修験者の言葉を借りると、政府が勝手に奥日光での女人禁制を廃止し、外国人が勝手に別荘を作り、サンショウウオなどしかいなかった湖に、外国人や麓の日本人がやってきて、勝手に魚を放流し始めました。

新しい明治政府からすると、自分たちの力を国民に見せつけるためだったのではないか、と思う、とこの修験者は言いました。でも、修験者の言葉を聞かずに、神聖な場所を荒らされるのは、山への尊敬と思い入れが強い分、厳しい経験でした。

この修験者は、20代の男性で、12-3歳から修験道の修行をしていました。修験者の中には、修行半ばで山を下りたり、修行が足りていないと感じる人もいました。でも、雄大な山のエネルギーと命をいただいて、大いなる一体感を感じながら、日々修行をしてきたのです。

この精神性は、日本人にとって必要な感覚。それがなければ、人として堕落してしまう。ですから、この修験者は、取り締まりのためにやってきた明治政府の役人二人に訴えることにしました。

明治政府の役人は、髷(まげ)を切り、西洋風のユニフォームを着ていました。彼らのジャケットは紺色で2列のボタンがついていました。ズボンは黒。西洋の外国人を真似して、口ひげを生やしていました。

この修験者は、昔ながらの修験者の白い衣を纏った姿で、役人たちに訴えました。

「山を解放してはいけない。人の精神性を奪ってしまったら、人はだめになってしまう。あなたたちは、目先のことしか考えていない。もっとその変化の先にある状況を考えるべきだ。」

ところが明治政府の役人の男性達は、その言葉に耳を貸さず、逆に明治政府に刃向かう賊徒(反逆者)と見なしたのです。

ある朝、湯が滝となって落ち始める場所で、この修験者は水の中に入り、跪(ひざまず)き、目を閉じて必死に神に祈っていました。すると、背後に人の気配を感じました。

振り返ると、明治政府の役人二人がこの修験者の肩をつかみ、体を滝に向かって投げだしました。「うわぁっ。」と叫んだのもつかの間、濁流に飲み込まれ、あっという間に体は滝壺に落ちていきました。体を強く打ち、70メートル下に落下し、ショックでほぼ即死でした。その体が滝壺に落ちた場所が、この女性がじっと目を離さなかった、滝壺の左側の水が溜まった場所だったのです。

 

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* 2枚目の写真は、修験道が修行の際に背負った箱笈(はこおい:「修験者(しゅげんじゃ)などが仏具・衣服・食器などを収めて背に負う箱。」デジタル大辞泉より。)Photo 2 is a backpack of Shugendo in their discipline.

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30分ほど、滝壺で当時のことを思い出した後、静かに滝の右側にある森の中の急峻な遊歩道を上り、滝の上に来ました。そして、自分が跪いた場所を見つけました。滝に水が流れ落ち始める場所だったので、今世では柵があって、水の中には入れませんでした。でも、その場所をじっと見つめ、心の中でスピリチュアル・ガイドと対話していきました。

明治政府の役人は、人の精神性について考えたこともないような人たちだったのだろう。言われたことを正しいと思って、ただ遂行しただけだったのだろう。自分がなかったのだろう。等々、いろいろな思いが生じました。

ネイティブアメリカンの部族が西洋の人たちに殺戮されていきましたが、その時にも土足で神聖な場所を荒らされる経験をしています。同じことが起きていたのではないか、と推測しました。

では、どうすればよかったのか?互いに理解しあえないのであれば、どちらかが殺されたり、支配されるしか、答えはないのか?修験者は日光山での修行をあきらめて、山を下りなければならないのか?

この女性は、前世の時と同じように、必死で祈り始めました。

すると、山の神様がすっと来てくれました。「その場の全員にとっての最善を祈りなさい。なぜあなたが、修験者としての役割を負っているのか、考えましょう。」というスピリチュアル・ガイダンスでした。

「あぁ、こんな風に、前世も自然の神様たちと対話していた。」と、この女性は神様とつながる感覚に親しみを感じつつ思い出しました。では、どうすればよかったか。山の神様は、「心を山の神様のそばに飛ばしましょう。」と勧めました。「心を飛ばす。」一見すると、どういうことか、立ち止まって考えてしまうところですが、この女性は難なくそうすることができました。すると、硬くこわばった体がリラックスし、知恵がわいてくるように感じました。

なぜ難なくできるのか、不思議がる彼女に私は、「安心してください。前世で行っていたことは、難なくできることが多いのですよ。」と伝えました。

この女性は再び、山の神様とつながり、変性意識状態になりました。

山の神様は言いました。「何が最善だったか、私に尋ねてください。」

この女性は、必死にスピリチュアル・ガイダンスを受け取ろうとしました。そしていただいたことがあります。

「まず、あなた自身も当時の修験道のやり方に問題があったことを認めましょう。古いものは、このように刷新する機会を与えられる機会があります。そのたびに、困難を乗り越えながら、純粋な精神性が引き継がれていくことを学びましょう。もし前世のあなたが、明治政府の精神性を理解しない行動を受けなかったら、あなたが当たり前のように持っていた、純粋に神とつながることの大切さを再認識することはなかったかもしれません。人は、持っているものの価値に、それを失うまで気づかないことがあるからです。」

この女性は、前世の男性の修験者の意識で答えていきました。

「確かにそうです。もし明治政府の精神性とは真逆の極端すぎる対応がなければ、修験道の内部の問題のみに振り回されていたかもしれません。」

スピリチュアル・ガイドは続けました。

「その上で、この役人たちとの関係で、何が最善かを考えてみましょう。精神性を必要としたことのない人たちに、人の道を説いても、伝わらないと思って、あなたの思いが正しく伝わることをあきらめようとしていませんか?あなたの思いが正しく伝わり、最善が起きるには、どのようにすればよいでしょうか?」

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自分の主張が正しく理解される状況は、端からあきらめていたので、すぐには答えが出てきませんでした。私はあきらめずに探すことをお勧めしました。しばらくの間をおいて、前世の修験者は、ゆっくりと確かめるように、自分にとっての真実の言葉を探しながら答えました。

「私には『女人禁制は修行という観点があれば解いてよいですが、修験者以外の一般の人たちが山に入ることは、引き続き禁じていただきたい。』という思いがあります。」と言いました。スピリチュアル・ガイドは、

「何があれば、明治政府は納得するのでしょうか?」と尋ねました。修験者は、

「明治政府に従うことです。」と答えました。スピリチュアル・ガイドは、

「そうです。では、何があれば、明治政府に従っている、ということになりますか?私とつながって、答えてください。」

しばらくスピリチュアル・ガイドとつながり、修験者は答えました。

「明治政府は修験道をつぶそうとしています。ですから、それを食い止めるためにも、今は明治政府に譲るしかないかもしれません。ですが、その代わり、私は必死に修行をし、もっとよい修験者になります。本当の人間の精神性を説くことのできる人間になります。そして、私の生き方を通じて、人に生き方を説きます。」

スピリチュアル・ガイドは、「それが答えです。」と優しく言いました。そして、この修験者の前世の悲しみを癒し、この場所に残されていたsoul portionをこの女性の魂に戻してくださいました。前世で起きた心と体の傷のために、この時代に置いてきてしまった、真実を発言する力を取り戻したのです。

ヒーリングの後、滝壺には許しのエネルギーが溢れ、未来に歩き出す気力がわいてきました。

自分が大切にしているものを失うことはつらいこと。でも、その中にある、失ってはいけないものを明らかにして、それを失わないようにしていく。

「修験者の男性は、最初は単に修験道という伝統を守ろうとしていたのかもしれません。でも、明治政府との対立を通じて、修験道の持つ精神性に惹かれていたことに気づいていったのではないでしょうか。」とこの女性は話してくれました。



註:動画は、湯滝に水が流れ落ち始める場所です。「明治と修験道 1」でご紹介した、前世でこの修験者が跪(ひざまづ)いて祈っていた時に、明治政府の役人に落とされた場所です。ヒーリング後の映像ですので、エネルギーがすっきりとしています。

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不思議なことに、ちょうどこのセッションの最中、ある社会問題をテーマにしたリーダーシップについてのあるオンラインサロンで、この女性と一部のサロンメンバーとの間で、リーダーシップについて、意見の対立が生じていました。

このオンラインサロンでは国や社会を変えようとする人たちが集まっていました。この女性は、達観した立場から、「自ら最善の方向に変わろう。」という趣旨の意見を言っていたのですが、目の前の状況しか見えない人たちが、「自分が変わることは無理。でも、周りの人たちを変えたい。」と反発したのです。

この女性は、一方的に批判されたことに悔しさを感じ、「自分を変えずに周りだけを変えたいなんて、無理だよ…。自分の行動を変えなければ、自分についてくる人たちはどこに進んでいけばよいのか、現実的な形として見えないでしょう。ゴールを人に見せることなく、目の前のことだけ変えるなんて、人をどこに導くかわからないのだから、無責任な行動にすら、私には見える。それでは人は迷ってしまい、結果として人は救われない。それはリーダーとして違うよ…。」と思いました。誰もフォローしてくれなかったことも、同意見の人がいなかったことにも、がっかりしました。自分が折れるしかないのか、どのように対処したらよいのだろう、と悩みました。

この出来事は、この女性の言葉を借りると、「リーダーシップの本質を論じ、精神性を重んじ、人と国の将来を見つめる」ことの大切さを説くこの女性と、それとは逆に、「目先のことに終始し、目の前の人の行動を形だけ変えようとし、自分の言動が将来に与える影響とその責任について論じることのないリーダーシップ」の間の違いを浮き彫りにしました。それはまるで、前世の修験者と明治政府の役人たちとの間の対立と似ている、とこの女性は思いました。





註:動画は、ヒーリング後の湯滝の滝壺です。スピリチュアル・ガイダンスに従って、「明治と修験道 3」にご紹介した soul retrievalという手法を用い、前世に残してきたsoul portionを、この女性に戻しました。すると、辺りが許しのエネルギーに満ちてきました。

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この女性は、自分の主張を通そうとして相手の人たちを言い負かすことがいやだったので、湯滝でのセッションの後、このオンラインサロンをすぐに退会しました。そして、その対立のエネルギーから抜けた後、自分が何をすべきか考えました。

この女性は、その対立があったおかげで、自分の意見がより強固になったと感じました。自分は間違ったことは言っていない。自分は変わらずに人を変えようとするだけでは、何も変わらない。実際、自分を批判したサロンメンバーさんたちも、何か月経っても、何も変わらず、そのオンラインサロンで変えようとしている日本の状況は悪化するばかりだった、と感じました。自分に反発した人たちも、今はわからなくても、いつか、必要になる考え方だと感じました。それが自分でわかれば、もう、それでよい。自分は自分の生き方をしよう。

これまでは、人と対立することを恐れて、自分の意見を言うことができなかった。それは前世のこの出来事が原因だった。その時の心と体の傷がヒーリングされたら、自分の意見の正当性を自分がわかっていることに、安心感を感じました。

明治維新の前後では、国内で様々な対立が生じていました。でも、国外から日本を狙っている外国の国々があったことに、気が付いていた日本人がどれほどあっただろうか、と思いました。

不思議と、この女性は、今の日本に対しても、同じように感じていました。だから、内部で対立している場合ではない。自分の意見と同じ、精神性を重要だと考えている人たちと、もっとつながっていこうと思いました。

すると、不思議と、自分が自分の生き方をしてよい、と思えました。自分が大切だと思うこと、貫いてよい、と思えました。自分の使命は、精神性を重視した生き方を提案すること。そう考えると、体の中で、人生の流れが変わってきたように感じ、それまでの前世の繰り返しを超えて、違う方向に歩き出したように感じました。

不思議なことに、時を同じくして、この女性は、別のオンラインサロンで、同じテーマで自分の思いをコメントするようになっていました。ここでは、この女性が今自分が必要としている質問やコメントを書いていたのです。自分の人生をよりよい方向に進めるために必要な内容になっていました。

すると、書かれた内容について、他のサロンメンバーさんから共感をいただきました。そして、似た経験をして、同じ考えで、自ら行動をしている人たちとつながることができました。そして、コメントを始めて一か月過ぎた頃、サロンメンバーさんたちと、同じテーマでイベントをしよう、という話が持ち上がりました。以前のオンラインサロンではできなかったことでした。

セッションから約一週間経った時に行われたzoom meetingでは、このサロンメンバーさんたちが、この女性と同じ苦しみや葛藤を越えてこられたことがわかりました。自分の経験が、その方々の役に立っていることも感じました。「自分が考えて行動してきたことを、共有させていただくだけでなく、共感していただけるのが嬉しいです。ほっとしています。」とお話しくださいました。人生の流れが変わってきたことを、この女性は実感しました。





註:写真は湯ノ湖です。湯滝は、この湯ノ湖から滝となって流れ落ちています。

参照(湯滝について): http://www.nikko-kankou.org/spot/115/

 

 

 

明治と修験道:セラピスト・ノート

 

Title: Meiji and Shugendo: Therapist notes 

(Shugendo: Japanese mountain asceticism-shamanism incorporating Shinto and Buddhist concepts; A person who practices shugendo is called a shugensha or yamabushi.)

 

オリジナルの記事はこちら

September 01 - 02, 2021

 

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「明治と修験道」のセラピスト・ノート(セラピストの視点から見たコメント)です。

 

実は、修験道の行者として修行を行っていた前世を思い出す方は、意外と多いのです。修験道の一大修行地でもあった、栃木県の奥日光、東京の御岳山等を始めとし、Spiritual Guidance-Based Coaching (SGBC)のセッションで、修験道が盛んであった場所に伺うこともありました。どこも、山奥だったり、険しかったりで、到達するのに時間もかかる場所にあります。

 

修験道の行者としての前世を思い出す方々は、自覚するしないに関わらず、スピリチュアル・ガイドとつながることが自然なことだと感じている印象があります。

 

私(Ai)は日本の山岳信仰である修験道に長らく関心がありました。ですが、修験道自体が身近になかったために、前世療法に出会う以前は、メディアやインターネットの情報しか、知りませんでした。ですので、前世の記憶を通して修験道を知るうちに、機会があれば、実際の修験道を多少なりとも知りたい、という思いがありました。

 

先日、SGBCのセッションで奈良を訪問したついでに、奈良の吉野を訪ねました。吉野は奈良時代から1300年の歴史を持つ修験道の霊場だと言われています。そこで、たまたま出会った吉野の修験道の行者さんに、お話をお伺いする機会があったのです。

 

明治維新をきっかけに、修験道に何があったか。私は廃仏毀釈は知っていましたが、仏教に影響があったと理解していたので、修験道に何が起きたかについては詳しくありませんでした。それこそ、「明治と修験道」のケースを通して、「女人禁制が解かれた。」とか、「外国人によって魚が放流された。」くらいのことしか知らなかったのです。

 

ところが、私が「明治と修験道」で起きたお話をさせていただくと、しばらくして、この行者さんが仰ったのです。

 

「実は、明治5年に、修験道禁止令が出たのです。明治5年の修験道禁止令で、吉野も大打撃を受け、15年間ほど、修験道は消えていたのですが、何とか、天台宗と折り合いをつけることで、復活を果たしたのです。修験道は明治維新前後の倒幕の時代とも関係があります。明治維新前に尊王攘夷運動を行っていた修験道は攻撃され、中には亡くなった行者もいるのです。私も現地を訪ねて知ったのですが、日本三大修験道の霊場、九州の英彦山(ひこさん)では、10人ほど亡くなり、その方々を弔った塚があるのだそうです。」

 

私は愕然としました。

 

つまり、「明治と修験道」でご紹介したクライアントが思い出した明治政府の役人に殺された前世は、単なる女人禁制を説くだけではなく、修験道そのものを禁止する法令だったとは。何という厳しい出来事でしょうか。この修験者に起きたことは、彼一人だけの経験ではなかった可能性があると思いました。

 

私は、クライアントの記憶の正確さにびっくりしてしまいました。このクライアントは、修験道に関心はあっても、修験道のことはほとんど知らなかったので、なおさらです。

 

明治維新の際に、明治政府は、日本人の精神性を真っ向から否定し、ある意味暴力的に消去しようとし、天皇を神と考える国家神道に変えていったのだと知ることになりました。直感的に、怖さを感じました。明治維新後の歴史として知っていることと、前世での経験として思い出した実際の苦しみの大きさの間には、大きな乖離があると思いました。あまりの変化に、言葉になりませんでした。

 

話は少し変わりますが、「明治と修験道」でご紹介した、前世の知恵のある修験者が、明治政府から来た役人に直訴するように話をする姿。

 

この姿は、京都の「幕末維新ミュージアム 霊山(りょうぜん)歴史館」で観た越後長岡藩家老・河井継之助(かわい つぎのすけ)(文政10年1月1日 ⦅1827年1月27日⦆ - 慶応4年8月16日⦅1868年10月1日⦆)のビデオを思い出させました。河井継之助は、明治維新の際に、旧体制派と新政府(明治政府)軍が戦った、戊辰戦争の一部をなす北越戦争で知られます。

 

民を守るために必死の41歳の河井継之助が、その思いを全く理解できない、24歳の経験不足の若造とも言える明治政府の軍監、岩村精一郎らを相手に、小千谷談判で思いの丈を述べた姿と似ている、と思いました。結局、小千谷談判は決裂し、その後、明治政府軍と対峙した河井継之助は、北越戦争で亡くなりました。当時、無理解のために生じる、似たような悲しい出来事がたくさんあったに違いないと思いました。

 

自分が岩村の立場であったらどうするか、話し合いの道はなかったか、どのようにすれば戦いが避けられたか、考えさせられました。

 

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翌日、吉野から「明治と修験道」でご紹介したクライアントの女性にお電話して、これらのことを伝えることにしました。彼女は最初は落ち着いて話を聞いていたのですが、明治5年の修験道禁止令以降、15年後に吉野の修験道が復興した話をすると、突然涙ぐみ、声が震え、涙声になりました。

 

「よかった。修験道が続いていた。本当によかった…。」という、心の深いところからひとりでに生じる大きな安堵感でいっぱいになったのだそうです。

 

しばらくして彼女は言いました。

 

「現世の私の頭では、修験道が現代まで続いていることを知っていたはずなのに、なぜここまで、心の深いところから、あふれるように涙がわいてくるのでしょうか?なぜこんなに、『よかった…』という思いがわいて、ほっとしているのでしょう?不思議です。」

 

このような、合理的な思考を超えたところにあるのが、前世の記憶です。このように、前世を思い出すときには、まず、理性や合理的な思考で判断せずに、ありのまま感じることが大切です。裏付けになるような情報を得るには、セッションの後でよいのです。そうでなければ、重要な記憶が、合理的な思考によってかき消されてしまうことがあるのです。

 

このお電話の後、クライアントの女性は、吉野に出かけることにしました。護摩を見学したり、吉野を散策したり、神社仏閣を訪ねたりしたそうです。

 

彼女は、修験道が信じる神のお一人、蔵王権現(ざおうごんげん)様が話しかけてくださるのを感じ、心が震えました。修験道の祖と言われる役行者(えんのぎょうじゃ)様がエネルギーとしておいでになって、彼女の心と体を癒してくださいました。役行者様は彼女に、修験道はいつも彼女を守っていますよ、と伝えてくださいました。その思いを感じ、彼女の目からは、涙があふれました。ただありがたく、感謝の気持ちがわき上がりました。

 

彼女は私に、「吉野では、修験道の世界とエネルギー的につながりなおすような時間になりました。不思議ですね。私は今世で日本的な宗教にはほとんど関心がなかったのです。でも、修験道は私にとって特別なもので、魂がつながっていることを喜んでいるようです。」とお話しくださいました。この女性は、広くスピリチュアルなものを信じているのですが、その点も、修験道と同じだと思いました。

 

彼女は前世を生かして、今世の使命を果たそうと考えています。今世では、彼女は一宗教としての修験道を信じる行者になる予定はありません。でも、修験道に対する理解と敬愛は変わりません。自分の魂のルーツの一つとつながれたことは、彼女をとても安らがせ、落ち着かせ、自分のこれからが盤石になったように感じたのでした。

 

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約150年前に起きた明治維新。全ての価値観が変わってしまったその様子には、現在私たちが直面しているコロナ禍を思い起こさせるものがあります。明治維新の際に起きた前世の経験を咀嚼し、学び、癒す。そうすることで、これからの時代をよりよく起きる知恵を得ることができる可能性がある、と思いました。